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豪政府、アボリジニに過去の同化政策を謝罪 [今日のニュース]

             

今年1月にラッド首相が公約していた通り、アボリジニへの謝罪が実現しました。1788年の植民地化以来、政府がアボリジニに何らかの形で謝罪をしたのはこれが初めてです。イギリス政府はいまだ、何の謝罪もしていません。

オーストラリア政府もすべてについて謝罪を行ったわけではありません。今回、謝罪をしたのは「盗まれた世代(Stolen Generations)」と呼ばれる層を作り出してしまったアボリジニ同化政策についてのみです。アボリジニ向けの政策は約束していますが、直接的な金銭的補償は拒否したままです。

19世紀後半から1970年まで、当局は100年以上にわたり、アボリジニを「人間」として受け入れるために、ティーン以下の子供たちを両親から強制隔離。白人家庭に預けるか強制収容施設や孤児院に送り、白人化教育を行ってきました。

それ以前のアボリジニは「動物」とみなされ、カンガルー同様に狩りの対象にされて、銃で狙い打たれたりしていたのです。アメリカ南北戦争のさなか、1862年に奴隷解放宣言が出されます。この影響を受け、アボリジニを「人間」とみなそうという機運が高まります。

その結果、持ち出されたのが(いまでは悪名高き)優生学思想です。アボリジニそのものは「動物」である。しかし、子供の頃から白人と同様の教育を与え、混血を進め、3代も立てば”立派な”白人になれる、という発想で始まった政策でした。特に、白人男性はアボリジニの血を引く少女たちを性の対象にすることが奨励されたのです。白豪主義によって同化政策はさらに強化され、1970年まで(←異説あり)続けられました(ちなみに、白人化していないアボリジニを当局が公式に「人間」と認めたのは1967年です)。

白豪主義の否定とともに同化政策も否定され、ふたをされて、一気に「無かったこと」にされてしまいます。同化政策の実態が明るみに出たのは約30年後の1997年(←ハワード前政権の誕生が1996年)。当時の検事総長の報告書でした。さらに、2002年に『裸足の1500マイル』という実話(強制収容所から脱走した少女が、稚内~那覇に相当する距離の砂漠を裸足で歩きとおして母の元へ帰る)をもとにした映画が公開され、謝罪を求める機運が高まります。

しかし、この30年間という時間が、話を非常にややこしいものにしてしまったのです。どの国でもそうですが、時間が経つと”不都合な真実”を「無かった」と言い出す勢力が必ずあらわれます。また、同化政策で”白人”になったアボリジニたちにとっては、「盗まれた世代」であることを認めること=”白人”であることの否定=これまでの人生の否定、につながってしまいます。祖父母が幼少期から”白人”として育てられていた場合、3世あたりになるとアボリジニの血を引いているという感覚すらない人も大勢いるそうです。

そんなわけで、同化政策の規模も侵食度もはっきりした数値が無いまま、ハワード前政権は「金銭的補償」が莫大な額になることを恐れて謝罪を拒否し続けてきたのです。

 ラッド首相は負の歴史の清算に一歩踏み込みました。しかし、それはまだ、たったの1歩です。アボリジニの平均寿命は白人よりも20年以上短く、教育水準は低く、就職差別は根強く、麻薬、酒の依存症が深刻化し、犯罪発生率は高いままです。

シドニーのダーリング・ハーバーにある「アウトバック」というアボリジニみやげ物店では、毎日無料で、伝統楽器・ディジュリドゥの演奏を聴けます(←上の写真)。

無料なのでしょっちゅう行ってたのですが、奏者の一人、どこからどうみても白人に見える青年(←写真とは別人)の祖母はアボリジニ、祖父はイタリア系移民だったそうです。彼は「盗まれた世代」3世。そのことを知ったのが20歳ごろ。アボリジニの言葉は話せない。という内容を、毎回、まったく同じ口調で淡々と語っていた姿が忘れられません。


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コメント 4

松井絵里奈

アボリジニって神秘的ですよね。
私は好きです。
by 松井絵里奈 (2008-02-14 17:59) 

rio

>松井絵里奈さん、コメントありがとうございます。

私もアボリジニ文化、好きです。厳しい自然と一体化している暮らし、アート、神話、などなど。世界中の先住民と同じく、悲惨な歴史が現在進行形で続いてることに胸が痛みます。
by rio (2008-02-14 22:08) 

Chico

こんにちは:)私はオーストラリアに住みながら、あまり、アボリジニーのことについては知りませんでした。しかしながら、今、先日Mr.Ruddから発表された、Stolen GenerationへのApologyについてEssayを書いているところです。。過去に何が起こっていたのか、それは、ただただ、白人の身勝手で子供のような考えから、痛めつけられた人々の話。知れば知るほど、胸が心の奥のほうで”ぎゅっ”と痛めつけられます。Ex-Presidentは”ごめんなさい”の1言がいえなくて。今回Mr.Ruddにより、初めての謝罪となったわけですが。今回の謝罪は彼らにとって、よかったのでしょうか。。真実を受け入れて謝罪するということはとても、大切なことですが、謝ったところで、何かが一気にマジックのように変わるわけではありませんよね。。rio さんの言うとおり、”「盗まれた世代」であることを認めること=”白人”であることの否定=これまでの人生の否定”。。。とても、難しい問題と思います。。
by Chico (2008-05-18 16:40) 

rio

>chicoさん、コメントありがとうございます。

これはほんと難しい問題ですね。国家の理屈、宗教観、民族意識などの大きな視点と、個人の幸福といった小さな視点、どちらが良いとか悪いとかではなく、この2つの視点の折り合いをつける解決策というのは、ほぼ不可能なんだと思います。

オーストラリアやイギリスがアボリジニに謝罪してこなかったのは、ひとえに補償問題を避けるためですよね。ラッドは”盗まれた世代”に対して、政策の誤りを謝罪しましたが、アボリジニ支配の歴史について謝罪したわけではありません。

これって日本でも同じなんですよね。アイヌの「先住性」は認めていますが、「先住民族」とは認めないという無理やりな立場をとっています。これも、アイヌを先住民族だと認めると補償問題が発生するという懸念からです。

だからオーストラリアやイギリスや日本がずるい国家なのかというと、そうとも言い切れません。問題発生から何百年もたったいま、補償問題で莫大な資金や土地を提供(返還)するとなった場合、それをどこから捻出するのか。「個人の幸福」にかかわる重大問題だからです。

”盗まれた世代”のケースは、これに、個人のアイデンティティの問題が絡んでくるわけで、ラッドの謝罪はともかくとして、”盗まれた世代”全員のルーツが明らかにされることが良いのか悪いのかについては、国家や第3者が判断できることでもなく。。。

保守的な人々の中には、”盗まれた世代”について、「当時の政策を現在の人権意識で断罪することが間違いだ」と主張している人が少なくないですよね。これも非常に難しい問題です。

こうやって考えてくると、「正解」はあり得ない問題なんだなと思えてきます。しかし、正解がないからといって放っておいていいわけではないですよね。正解がない問題を八方丸く治めるのが政治の使命だと思うのですが、はたしてラッド政権にその力があるでしょうか。
by rio (2008-05-18 18:14) 

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