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死刑執行と鳩山発言の異常性 [けっこう気になる]

「宮崎勤」という名前が全国に衝撃を与えた頃、まだ子どもでした。事件そのものの気持ち悪さと同時に、サブカルチャーを評論する人たちや、したり顔であと付けの解説をする”有識者”(←この呼ばれ方、小っ恥ずかしいでしょうねえ)たちがニョキニョキ現れてくる状況を、初めて目の当たりにした最初の出来事でもありました。

昨日(17日)に死刑が執行されたことをニュースで知りました。よりによって、執行にサインをしたのは「死刑囚はベルトコンベア式に殺せ」と言い放った鳩山邦夫法務相。マスコミは口をそろえて「宮崎勤は最後まで反省の言葉を示さなかった」とばかり強調しています。薄気味悪い社会です。

私は死刑制度廃止論者です。でも、何年も前からこのことについて議論するのをやめています。理由はただ一つ、かみ合わなくてキリがないから。「死刑制度廃止論者です」と表明したときに、何か物を言ってくるのはたいてい死刑制度賛成論者(存続とか肯定とかでなく”賛成”)です。で、みんな青筋立てて同じことばかり言います。

いわく、

1、お前の家族や恋人が殺されても同じこと言えるのか(遺族感情)  
2、人を何人も殺した犯人が殺されるのは当然
(報復感情)
3、死刑制度が凶悪犯罪を未然に防いでいる(犯罪抑止)                
4、敵討ち(=私刑)を認めない代わりの措置だ
(私刑の抑制)
5、死刑制度は国民の過半数に支持されている(多数決の原理)

突き詰めると、たいていこの5つのどれかです。どれ一つとして、死刑制度を存続させる確固たる根拠にはなりません。ごく簡単に理由を書くと、

1と2は「感情」なので、100万年議論しても結論は出ません。論理ではないものに結「論」はないんですね。ただ、1に対しては「加害者の死刑取り止めを要望している被害者遺族もいる(いた)」という事実、2に対しては「日本の刑事罰は再犯防止と更生を主たる目的にしている」という事実が反証として挙げられます。

3~5は論理なので反「論」ができます。3、4については、そういった事実を示す統計学的に有効なデータはありません。池田小無差別殺人の宅間守のように、死刑が殺人を誘発したとさえ思える犯罪もありました。5については、「死刑制度を『積極的に支持』する人の割合は減っている」、「死刑制度が無かった時代を体験したことが無いために、現状追認をしているだけ」などいくつもの反論があります。

やっかいなのは、こうして話を進めると、勉強した人たちは3~5からどんどん哲学へ入り込んでいって、ホッブズ、ロック、カントとかのテツガクを素人にはさっぱりわからない翻訳調でいろいろ言ってきます。そういう人たちの結論は決まってます。「ほら、お前にはわからないだろう。だからお前は間違ってるんだ」。←この論理の飛躍に気づかない危うさが嫌なんですね。

で、そういう勉強をしなかった人たちは、1~2の感情ゴリ押しです。そのうち逆上してとんでもない言葉を投げつけられたりするので、やっぱり話をするのが嫌になるんですね。

そんなこんなで嫌だなと思いつつ、なんでこんなことを書いているか。それは宮崎勤死刑囚への執行について、鳩山法相の次の言葉が非常に気になったからです。読売17日付より引用。

「妙な言い方だが、自信と責任を持って執行できるという人を選んだ。」

ご本人が言う通り、とても「妙」な表現です。この言葉、裏を返せば、「自信と責任を持って執行できない死刑囚がいる」ということになります。友達の友達がアルカイダだったり、サブプライム破たんで80億円損したり、いつも世間を騒がせる「事実」ばかり口走る人ですから、この発言も「事実」だと私は考えています。

つまり、端的に言えば、「死刑囚の中には冤罪被害者がいる」ということを法相自らが示唆したことになるのでは、と。

死刑制度廃止の主眼はそこです。冤罪で執行されると取り返しがつきません。吉田岩窟王事件、免田事件など歴史的な冤罪事件はいくつもあります。松本清張が小説にも書いた帝銀事件は、旧陸軍関係者(おそらく731部隊)に捜査の手が及ぶのを避けるために政府がでっち上げた冤罪事件だという説が有力になっています(平沢貞通死刑囚は獄死)。

この手の話には「死刑の冤罪は戦後の混乱期の事件ばかり。科学捜査の発達した今の時代にはない」という反論が必ずあります。確かに冤罪の可能性は減っていると思います。しかし、ゼロではありませんし、ゼロになることはないと思います。『元刑務官が明かす 死刑のすべて』(坂本敏夫著、文春文庫)の著者(27年間務めたベテラン刑務官)は冤罪死刑囚について「いると確信している」と断言しています(←ただし、根拠不明)。

死刑は完全な秘密主義で執行されます。死刑が確定した段階で親族以外との接触(手紙も含め)ができなくなります。再審請求は「開かない扉」と言われているので、冤罪だったらこの時点でほぼ絶望的です。袴田事件(冤罪の可能性が強いと言われている)の袴田巌のように、30年にわたる長期収容で精神に異常をきたし、意思疎通が難しくなってしまっているケースもあります。

法務省も最高裁も「私たちに間違いはない!(無謬性)」という立場を取っているので、冤罪なんてことになってはメンツがつぶれる。再審無罪=敗北。そう”させない”ためには、死刑囚がどうなろうと外部との接触を一切断つ必要があるんですね。それで病死でも狂死でもしてくれれば結果オーライ(←死刑が執行されなかったことになるのでよくない、という話もあるようですが)、そうでなければ(今回の宮崎勤のように)世間を騒がす殺人事件が続いた時に”知名度”のある死刑囚から殺っていく、というそんなスタンスです。

それが、鳩山法相の言う「自信と責任」ってやつです。死刑廃止議連会長の亀井静香が「まず死刑囚の置かれている状況を明らかにしろ!」と怒るのも当然です。

と、ずいぶん長くなってかなりくたびれたのでもうやめますが、なんだかんだ言って死刑制度廃止論の一つの「冤罪」について書いたに過ぎません。この一点でも充分だと私は考えているんですが、「廃止」と言っても「完全廃止」から「凍結」まで意見がありますし、世界各国で積み重ねられてきた膨大な議論もあります。

また、執行する刑務官のことが世間にはほとんど知られていないということもあります。これはどちらかと言えば間接的な話ですが、それでも、死刑を実際に執行する仕事を知らずに死刑制度を語るなんてあり得ないですよね。

そんなこんなで全容はとても私一人が個人のブログで語りつくせるようなテーマではありません。

ただ、しつこく繰り返すと、鳩山発言は冤罪死刑囚の可能性を(図らずも?)示唆している。徹底した秘密主義で覆い隠している死刑囚の中から知名度の高い人物をピックアップし、見せしめとして処刑している。この2つの異常性は見過ごせないと思います。

元刑務官が明かす死刑のすべて

元刑務官が明かす死刑のすべて

  • 作者: 坂本 敏夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2006/05
  • メディア: 文庫

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moody

rioさんこんにちは。

 私は死刑続行論者ですが、深く研究したわけではないので突っ込まれるとおろおろするだけだと思います(でも突っ込んで下さい・笑)

 理由は明快で、「食わせる税金がもったいないから」。

 もちろん被害者や遺族の心情を慮ればなおのこと死刑賛成なんですが、感情論なのでここはおいといて。

 日本が豊かで潤っている国ならばいいですが、今の繁栄は見せ掛けで国の借金は増える一方。周りは敵だらけ、内部も侵食されるばかり。こんな危険な状態の中、今回の宮崎も20年の間税金で食わせていたのかと思うとやはり納得しかねるものがあります。

 ただ、冤罪というのは常について回るものだと思います。ましてや陪審員制度が導入されれば、事実とは関係なく、陪審員の感情をうまく操作した方に判決が傾く可能性が高い。誤審・冤罪の可能性はますます高まるでしょう。

 余計な税金を使わないなら、冤罪の可能性がある以上は死刑廃止でも賛成です。
by moody (2008-06-18 14:41) 

rio

>moodyさん、重たくて長い話にもコメントありがとうございます。

死刑囚の人数はいま100人ぐらいだと思います。日本の経済力で100人食わせるのは、数字の上ではどうってことないですね。官僚が天下りをやめて無駄な外郭団体を廃止すればその何百倍もの人間を食わせられます。

問題は、「死刑囚を税金で養うなんて!」という市民感情をどうするか、だと思います。

税金で養うのがダメだというのであれば、犯罪者は刑確定後にすべて抹殺するのが一番安上がりです。刑務所に入りたくて無銭飲食するようなリピーターは生かしてはおけません。死刑しかない社会。そんなふうになってしまいます。

もともと、死刑囚に刑務所内でなにもさせないのはおかしいと思うんです。びしびしと労役を課せばいいと思います。死刑を宣告されてから文章や絵で才能を発揮した死刑囚もいましたが、そんなかっこつけたことでなくて、仕事を与えてメシ代ぐらいは稼がせるべきです。

ただ、根本的な問題はそこではないと思うんですね。問題の本質は、「あらゆる犯罪は社会が生み出した病理だ」という現実を、一人ひとりが引き受ける勇気と覚悟があるかどうかだと思います。

古くは『無知の涙』を書いた永山則夫の事件がそうですが、最近の秋葉原の事件も、社会の病理が個人の中で濃縮されたケースだと思います。それをマスコミは「身勝手な犯行」なんて身勝手に解説してますが、人間は1人で生きているわけでない以上、犯罪も個人の中で突然生まれるものではないはずなんです。

そういう意味で、起きてしまった犯罪の犯人を税金で食わせるのは、社会の義務だと思います。
by rio (2008-06-18 15:37) 

みき

シリアルな問題なので、私みたいな者がどうこう言うなんて、とても出来ませんが・・・
>最近の秋葉原の事件も、社会の病理が個人の中で濃縮されたケース
これは強く強く思います。もう成人なんだから自己責任で当然だ!というだけで片付けてしまっていいのだろうか・・・と。もちろん、どのような理由が有ろうと、罪のない人を傷つけていいというわけでは決して有りませんが・・

スレ違いですが、じゃりン子チエの話題、懐かしかったです。
私はテレビでアニメの番組を何度も見ました。10回くらい再放送見たんじゃないかと・・・(笑)警察チームとテツチームがラグビーの試合をする場面は何回見ても笑えました。。また再放送が有れば是非見てみたいです~
by みき (2008-06-18 16:38) 

madoka

鳩山邦夫って、救いようのないバカですね。
こういう想像力のかけらもない(オツムも弱い)人が法相であるということに、まず恐怖を感じます。
「妙な言い方だが」発言は、要するに「宮崎勤なら誰も文句言わねえだろ?ってことで、安全パイだから自信を持って選びました」って言ってるように私には聞こえるのですが…。
「正義の実現のために、粛々と執行させていただいております」ってのも何とも・・・。
凶悪な無差別殺人事件が起こった直後だけに、「国民感情は”死刑賛成”に一気に傾いているはずだ!今だ!」という思惑も透けて見えるように思われ、なんとも寒々しい気持ちになります。

多くの人たちは(私もですが)、自分が加害者側になることは想定していなくて、もしなることがあるとするなら被害者の方だ、と思っていますよね。
だから、「冤罪の可能性」にはピンと来なくても、「遺族感情」「報復感情」の方になら感情移入がしやすいんですね。
これは危険なことだと思います。

私は、正直言って、非常に残酷な犯罪を犯す人や、無差別大量殺人を犯す人の心理はわからないですし、そういう人が本当に「更正」できるのか?というとちょっと疑問です。
こういう「自分の理解を超えたもの」に対しては無関心に陥りがちで、「○○事件の誰々が死刑になりました」と言われても、所詮「他人事」になってしまう。なかなか「社会の問題、ひいては自分の問題でもある」というふうには考えられないんですよ。
で、自分がこういうダメ人間だからこそ、死刑制度は廃止してもらいたい、と思うわけです。
死刑を執行させて「正義のために粛々と…」なんて平気で言える法相を怖いと思いつつも、自分の中にも「あんなやつは死刑になって当然」という気持ちが確かにあるのです。
rioさんのように、論理的に「死刑制度反対」と言える人は強いし賢いし人格者だと思います(ほんとにそう思います)。
私のような人間は、死刑制度をなくすことが正しいと理性ではわかっていても、感情面ではすぐに「死刑」に傾きがちになってしまう。だからこそ、死刑制度は廃止してほしい。…って、わかりにくいですよね…すみません。

今やっと「終身刑」を、という議論が始まって…というか始まりつつある、という段階ですが、私は早くこれが実現して、死刑が廃止されればいいと思っています。
rioさんも挙げてらっしゃる宅間守ですが、もし最高刑が「仮釈放なしの終身刑」だったら、あの殺人を犯しただろうか、と思わずにはいられません。秋葉原の事件にしてもそうです。
ああいう人たちにとっては、死よりも、終身刑の方がよほど抑止になったと思います。

でも私もmoodyさんと同じく、やっぱり税金を使われるのには抵抗があります。たいした金額じゃなくても、です。
ギリッギリの生活で3食食べることもままならずに、それでも踏みとどまって、犯罪に手を染めることなく生きている人のほうが多いのに、その人たちを差し置いて?って思ってしまうんですよ。
犯罪を犯すほど追いつめられる人が生まれる社会は確かに病んでます。
そういう社会にならないようにするためにお金を使うのなら、どんどんやってくれ!って思うのですが…。
刑務所内でも働いて、畑を作って、完全自給自足を目指してほしいです。

あ、でも日本の刑務所って、妙に軍隊式だったり、イジメがはびこってたりするんですよね。
あれも早く改善するべきだと思います。

はあ~難しい・・・・・・・・。
by madoka (2008-06-18 18:52) 

rio

>みきさん、アニメ版『じゃりン子チエ』は原作に忠実につくってあるので見てて楽しいですよね。しかも声優陣がみんなはまり役で。DVD・BOXが何年か前に発売されたんですが、手に入れてません。まだ売ってるのかなあ。

秋葉原の犯人は「ぶさいく」ってことにものすごくこだわった書き込みを繰り返していたようですね。顔の造作の良し悪しよりも人間性のほうが大事だということを、この長期にわたるお笑いブームから学べなかったのか。気になります。
by rio (2008-06-18 22:23) 

rio

>madokaさん、まずもって、鳩山邦夫が法相であるという異常事態はなんとかしなければならないですね。言えばためらわずにほいほいとサインをするような人間だから法相に選ばれたとしか思えません。

「死刑囚が更生することがあるのか」という議論は常に出てきますね。人間は変わることができるという事実も、死刑囚に適用されると「?」がつけられてしまいます。これはたぶん、「死刑囚が更生できるとしても、その事実を受け入れたくない」という心理が働くからではないかとにらんでいます。

殺人を仕事にしている公務員に「軍人」がいますね。731部隊に代表されるように、アジアのあちこちで非戦闘員を殺害した人たちが、その後の日本社会の中で普通に生きてるわけです。「あれは戦争だったから」「国に命令されたから」という”大きなもの”に罪を預け、宗教や家族やなんやかやにすがって「更生」しているわけで、これは永山則夫が『無知の涙』に書いたことと構造的にほとんど同じだと思います。

網走番外地、高倉健の世界観のようなところで生まれて、両親はどちらも子どもを捨てて蒸発。学校にも行けず、飢えて死に掛けたような子ども時代を送った永山が1949年生まれで、刑務所に入ってから初めて人間的な生活を始め、ついに小説家に。そしてあの「酒鬼薔薇」事件の見せしめで1997年に処刑、48歳。なんてことを知ると、死刑制度ってなんのためにあるの?って疑問になるんですよね。

永山は一度無期懲役になるんですが、そのあとの最高裁で「同じ境遇で育った兄弟は殺人をしていない」って理由で「やっぱり死刑ね」ってことになるんです。おかしいですよね。一人っ子だったら無期懲役になってたんでしょうか。

計画殺人なら1人でも死刑の可能性、衝動殺人なら複数殺人で死刑、みたいな「相場」があるのもおかしいですよね。衝動殺人で殺した相手が1人だったら裁判所は「更生」の可能性を認め、3人になると可能性を否定するわけです。結局、数字だけで判断しているんですね。

>そういう社会にならないようにするためにお金を使うのなら、どんどんやってくれ!

「最善の社会政策が、最善の刑事政策だ」という言葉があります。犯罪を未然に防ぐための社会政策が不十分だから「誰でもよかった殺人」が多発する、と考えるのが戦後日本のとってきた道だと思うんです。

なのに、死刑制度だけは歴史的な背景もあって残ってしまった。だから、「自信と責任」などと胸を張る異常な法相が登場するんですね。あり得ないことだと思います。
by rio (2008-06-18 23:08) 

まりふぁな

私は積極的死刑存置論者なので投稿するのは憚れるのですが…

記事中で指摘されている存置論5類型に対する反証について、全面的に否定するものではありませんし、冤罪についての問題が看過できるものではないことも承知しています。
しかしその反証についての反証もまた為し得る(お互いが悪魔の証明を仕向けあう)という点で全面的に同意もしかねる、また冤罪の問題を盾に死刑廃止論を声高に叫ばれても首肯しかねる、というのが正直な感想です。

むしろ「冤罪を生む司法のメカニズム」にこそ問題があるのであって、望まれるのは「冤罪のない司法」ではないでしょうか?
死刑の廃止が冤罪被害の回復のチャンスを生むというのは事実ですが、そのことをもって冤罪を生む現状の改善がどこかに追いやられているかのように感じられてなりません。
逆に(机上の空論かもしれませんが)冤罪が100%起こり得ない司法制度上であれば死刑に賛成なさるのですか?と尋ねたくなります。

同時に、
>そういう社会にならないようにするためにお金を使うのなら、どんどんやってくれ!(madokaさん)
という意見にはなんら異存はなく積極的に賛成できるのですが、
>起きてしまった犯罪の犯人を税金で食わせるのは、社会の義務だと思います。(rioさん)
というご意見には到底首肯しかねます。

おっしゃっている事は一応理解しているつもりですが、大多数の「普通の」人間が踏み越えない一線を踏み越えた人間に対してその「優しさ」を発揮する余力があるのなら、まず先に踏み違えず・踏み留まっている人間に対してその「優しさ」を発揮してしかるべきではないでしょうか?
madokaさんもおっしゃってますが、同じような境遇にあってなお踏み違えない人間から見て、ごく一部の特殊な「踏み外した人間」をあえて優遇するような行為はまさに反社会的行為ではないのでしょうか?

・社会が悪い、俺も犠牲者だ、だから俺が罪を犯すのはいい
・世の中には俺よりもっと悪い奴がいる、だから俺も罪を犯してもいい

…最近なにかと話題になる「モンスター○○」の理論・主張はおしなべてこうした「甘え」に基づくものが大半の様に私は思います。
ヒトが「人」として拠って立つべき規範をないがしろにした方が「優しさ」の恩恵を受けて「幸せに」生きられるような社会が「責任ある社会」の理想像なのでしょうか?


永山は数多くの死刑囚の中でも特筆される稀有な例であり、その一例をもって死刑囚全般の更生可能性を論じることにも私はいささか違和感を感じます。永山を例に出すのであれば、女性2人殺害の罪で無期懲役刑を受け、その仮釈放中に更に殺人と死体遺棄を犯し死刑が確定した宇井などを例に出さないのは片手落ちかと考えます。

また、個人的には2審での無期懲役への減刑を破棄した上で差し戻し、最終的に死刑を確定させた最高裁の判決は至極まっとうなものであると考えています。
最高裁が永山の兄弟を引き合いに出したのは「最も端的に“同等の境遇”にある人間の具体例」として挙げたのであって、彼らが同様に厳しい環境の中にあっても犯罪者にはならなかったことを踏まえて永山の犯罪責任を断罪したものであると考えています。

私はその7人の兄弟をこそ賞賛すれども、残念ながら永山に対してその犯した罪を赦し得るほど徳のある人間ではありません。
rioさんは残る7人の兄弟にも「犯罪者になっても仕方ない境遇だから、罪を犯しちゃってもよかったんだよ」と声をかけてやりたかったのでしょうか?


久々に顔を出しておきながら、いささかならず乱暴で失礼な文章になり申し訳ありません。改めて読み返すと後段については死刑存廃云々からはかなり視点が外れていますが、あえてこのまま投稿させていただきます。

ちなみに、鳩山弟の低脳ぶり(学業は優秀だったらしいが)に関しては、なんら異論を挟む所ではありません。
by まりふぁな (2008-06-19 00:57) 

ルミ

>死刑囚の人数はいま100人ぐらいだと思います。日本の経済力で100人食わせるのは、数字の上ではどうってことないですね。官僚が天下りをやめて無駄な外郭団体を廃止すればその何百倍もの人間を食わせられます。

○○をやめれば、○○できる。
この考え方は危険だと思います。実際そのとおりにできるか、という保障はありませんし(このたとえは限りなく可能性が高いとしても)。
死刑を宣告されながら何十年と生きる死刑囚がいる反面、無期懲役という刑を受けたにもかかわらず、出所できる囚人もいる世の中です。

社会の作ったルールを踏み越えてしまった人が罰せられるのは、社会が存続するためには必要なことでしょう。それを、社会が責任を取って食べさせていけという論理はどうかと。
死刑がなくなれば、現行制度下では無期懲役となり、そしていつかは出てくるんですよね。異常な再犯率の高さを知っていますか?
日本にいまだ残る「ムラ」社会は、前科のある人の雇用を厭います。そして一度ボーダーラインを踏み越えた人は、前よりは低いハードルを越えてしまう。
死刑が、関係者(執行にサインする人、刑を執行する人他)に与えるばかばかしいまでに重い負担を考えると、廃止にしてもいいのではないかと私も思いますが、そのためには、アメリカのように「懲役●百年」みたいに、一つ一つに対する量刑を加算する制度にする必要があるのでは、と思います。

生活保護も後期高齢者医療も、マスコミは楽しく取り上げていますが費用負担は非常に重いのです。
高齢で、話し相手を求めるかのように毎日病院に電気をかけにいって、「なんとなく」よくなっている気がする年長者の方がいるとして、医者は楽になるなら毎日来なさいというでしょう。若い人が受ければ、1回600円(保険3割)の治療も、年長者なら月初めの数百円で済みますから、お年よりは毎日通います。
まともに支払えば、1万円を超えますから若い人は行きたくても行けませんがお年よりは時間はあるしお金はかからないしで通うわけです。
生活保護にいたっては、受給者の手出しはゼロです。医者から処方してもらえば、薬代もタダです。自分が払うのならいらないというかもしれないシップや何もかも処方してもらっている人はいますし、それで儲けている医者もいます。
後期高齢者制度で、そんな「病院サロン」に向かうお年寄りを抑制したいのが国の本音だと思います。
天下りの機関を潰すのは確かに必要ですが、人を一人養うのはそんなに安くありません。
ましてや、あの手の施設は維持費が以上にかかるうえ、地元との調整が難しく増改築はできない、収容人数は限界に近づく、などさまざまな問題を抱えていますから。
専門家ではありませんが、正直なところ「無期懲役」の恩赦については、満員になるのを防ぐためという気がしないでもありません・・・。

ひとさまのブログに長々と自説を申し訳ありませんが、一言言わせていただきたかったので…
by ルミ (2008-06-19 01:05) 

moody

一番初めにブログ管理者と全く反対の意見を書き込んでしまったmoodyですこんにちは(笑)

 反対意見でも丁寧に返信を下さりありがとうございます。こうしたしっかりしたテーマで、おのおのが節度を守った上で自由に発言ができるのはすばらしいことです。改めてrioさんの度量に感謝いたします。

 死刑囚を賄う費用は、確かに日本経済から見れば微々たるものですね。私も「死刑囚に対する感情」により意見を言っていたと気づかされました。
 あと最近の「何でも社会が悪い」説はちょっと辟易していたので、まりふぁなさんが書かれた宇佐美越川高速パイプ並の見事な文章を読んで、私がモヤモヤとしていて言葉にできなかったことを少し捕まえることができました。
 人を殺すと賞賛される時代もかつてありましたし、何を持って犯罪とするかというのは確かに社会が決めています。しかしそういった意味で社会は犯罪者を養う義務があるというのは、踏み越えずに耐えているものに対する逆差別の感が否めません。
 
 ちなみに731部隊を引き合いに出すのはやめませんか。真偽が疑わしいものですし(私は腹1~2分目位でとらえています)、もちろん存在はしていたと思いますが。もちろんrioさんが主張なさりたいポイントはそこではないと理解しておりますが、あえてお願いしたいです。
by moody (2008-06-19 02:50) 

rio

>まりふぁなさん、ルミさん、moodyさん、コメントありがとうございます。

それぞれが長くなるのでまとめてお返事させてください。


まず、「冤罪の無い司法」というのは不可能だと思います。

すべての人間にICチップみたいなものを埋め込んで行方を管理し、すべての建物なり部屋なりに監視カメラを据えつけることを義務化すれば…あるいはできるかもしれませんが、非現実的です。

その意味で「陪審員制度」というのは、冤罪そのものはゼロにできないけれど「冤罪死刑囚」をなくすことには効果を発揮するのではないかと言われていますね。「人を殺す決定をしたくない」という人間の素朴な感情を根拠に、死刑判決そのものが減るだろうという予測からです。

ただこれは、理屈の上では、陪審員がなんでもかんでも「死刑」にすることもできるシステムで、また別の議論が必要かと思います。

ほかにも、警察・検察での取調べを全録画して保存する、自白偏重の取調べを改める、代用監獄を廃止する、など「冤罪を起きにくくする」ための措置は今すぐに実行されるべきだと思います。これは死刑に限らず『それでもぼくはやってない』人たちを救済する(そういう人たちを生み出さない)ために絶対に必要なことだと思います。

それはさておき、みなさんが引っかかっておられるのは「起きてしまった犯罪の犯人を税金で食わせるのは、社会の義務」の部分だと思います。

>踏み違えず・踏み留まっている人間に対してその「優しさ」を発揮してしかるべき
>踏み越えずに耐えているものに対する逆差別

まりふぁなさんと、moodyさんのご意見↑は同じことを指摘されていると思いますが、私は疑問に感じています。

というのも、大多数の人は「殺人を犯したくてもガマンしている」のではなく、「殺人なんて絶対にいやだ」と思っているはずだ、と考えるからです。

なので、一般化して損得勘定のように表現してしまうと話が見えにくくなると思います。「私は今すぐ○○を殺したいが、死刑があるからガマンしているんだ」と個人の具体例で主張されるなら、死刑存廃とはまた違った観点での話になるとは思いますが。

その上でまず、「犯罪者を食わせるのは社会の義務」の部分ですが、これは日本も含めてどこでも税金が投入されています。量刑の重さにかかわらず、刑確定から出所までの全額を自費でまかなっている犯罪者は一人もいません。

日本の戦後の刑法は、記事に書いた通り、再犯防止と更生を目的にしています(死刑以外)。ですから、「犯罪者を税金で食わせる」というのはイコール、犯罪者を更生させ、再犯防止に努めることを意味しています。実際、出所後に、ボランテイア、講演、執筆、宗教などさまざまな手段を通じて犯罪を未然に防ぐ活動をしている「前科者」はたくさんいます。

死刑囚でも同じだと思います。永山則夫は稀有な例だと指摘されましたが、だとすれば、連合赤軍の永田洋子や坂口弘なども稀有な例になってしまいます。戦後60年間で何百人もいない程度の死刑囚の中に何人も稀有な例がいるとすると、それはもはや、特殊化するべきではないと思います。

ここを否定してしまうと刑事罰は成立しません。繰り返しになりますが、コストだけで考えれば、刑確定の服役囚は全員その場で死刑にするのが一番安上がりですから。

なお、宇井錂次のケースを「最初に死刑にしておけば次の犯罪は防げた」とする人が多いですよね。人命が奪われている状況での結果論ですから重い意味を持っていると思います。ただ、そこには、殺した人数によって量刑を決める日本の慣例や、刑務所内での更生プログラムの実効性についての視点など、法務行政についての批判が欠けています。法務省にとってはこれほど好都合の「死刑賛成論」はないだろうな、というのが私の感想です。

なので、問題の本質はそこでもなく、突き詰めると「なんで犯罪者を社会が食わせなければならないのか」の部分だと思うんですね。

私は、死刑制度存廃論議のキモはここだと思っています。

例えば、中国は応報刑の要素が色濃く残っていて、殺人じゃなくても、脱税・賄賂・横領といった罪でどんどん死刑判決が下って執行されますよね。日本の江戸時代に近いかもしれません。

一方、アメリカの一部の州など、刑事罰を完全に目的刑として考えているところでは、ルミさんがおっしゃるように「懲役300年」などの判決を出し、あくまで再犯防止・更生の立場を守っています。

終身刑といっても、30年ぐらいたつと仮釈放のための審査を受けられるところが多いそうですが(←ただし、日本のように簡単には出られない)、仮釈放されたとしても、氏名と住所が公表され、社会の中で監視されながら暮らさせるシステムをとっているところもあります。

日本はこの2つの立場のちょうど中間にあると思います。それはバランスをとってそうなったのではなく、単に議論をしてこなかったことが原因です。してこなかったというより、法務省が死刑制度論議を嫌い、一切の情報を出さない政策をとっているために議論ができなかった、というのが正確だと思います。

その結果、死刑判決が出されそうだということになるとワラワラと支援者が表れ、確定してしまうと親族以外との接触が断たれるので、少しでも裁判を引き伸ばそうと法廷戦術に走る異常な光景が繰り広げられます。山口県光市の事件がその典型ですね。

こんなことばかりになってしまうのも、あるいは記事で書いた通り、感情や哲学的観念で話が堂々巡りするのも、すべて、亀井静香が怒っていたように「死刑囚の実態がわからない」からですね。

裁判員制度の開始が迫ってきて「終身刑」をどうするかという議論がにわかに盛んになってきています。この議論は「素人に死刑判決を下させるのは負担が重すぎるんじゃないか」という本質とは少しずれた(←大切な視点だとは思いますが)ところからスタートしているように感じます。

すべての議論は、「犯罪者を社会がどうコントロールするか」から始められるべきだと思います。「コントロール」の選択肢として、死刑、終身刑、無期懲役以下があって、あわせて「なぜその方法がベターなのか」を議論することが求められている時代だと思います。

余談ですが、moodyさんがおっしゃった「731部隊の真偽」については、おそらく中国側が出してきた玉石混交の資料のことを指しておられると思います。森村誠一の『悪魔の飽食』にも不正確な資料があったとして論議を呼びましたよね。

しかし、そのことをもって731部隊の存在や研究を否定することはできないと思います。森村誠一をはじめ多くのライターが731部隊の生き残りに取材をしていますし、『悪魔の飽食』のころには出ていなかった資料も見つかっています(←先日もテレビでやってました)。帝銀事件の容疑者として警察が731部隊出身者に目をつけていたことを示す警察官の日記もあります。

恐らく、日本政府が隠している資料や、GHQが押収してアメリカのどこかに埋もれている資料が発掘されれば、全容がもっとはっきりすると思います。
by rio (2008-06-19 07:08) 

にこたま

私は、死刑は賛成派です。ただ、今の刑の決め方には問題は
あると思いますよ。反対派の方々は、大体冤罪の可能性を言
いますが、ちゃんと証拠をそろえて疑う余地がなければ、死刑で
問題ないと思いますよ。もちろん、自白は証拠にはなりません。
疑いの余地がある場合は、終身刑とかにすればよいかと。しかも、
自分の金で、なければ刑務所労働で稼げばよいかと。刑=懲役(労働)
は、おかしいよ。刑務所に入ったら二度と入りたくないと思わせる
ような厳しさが必要だと思います。犯罪者の更生も必要ですが、
被害者の立場も考えてほしいです。

 あと、裁判員制度なんてくだらん制度を作る前に、警察や
検察の捜査能力を上げてほしいですね。裁判員制度こそ冤
罪確率を高める要因だと思います。

by にこたま (2008-06-19 12:46) 

rio

>にこたまさん、コメントありがとうございます。残念ながらご意見の中に事実誤認が多々見受けられ、どのようにお返事していいかわかりません。すみません。
by rio (2008-06-19 13:15) 

noodle-vague

まったくブレのない言説と議論に、感心いたします。
今後、話し合うべきポイントも明確にされていますね。
感情に左右されずに、状況を見つめるしかないと思います。
死刑に関する現況の正しい認識を持ったうえでなら、
とことん議論する意味と価値が生まれてゆくと思います。
襟を正されました。ありがとうございます。
by noodle-vague (2008-06-23 19:47) 

rio

>noodle-vagueさん、コメントありがとうございます。

感情的なものが出てしまう重いテーマですが、だからこそ、それに左右されずに考えていく冷徹さが求められますよね。私もまだまだ勉強すべきことがたくさんあると感じています。
by rio (2008-06-25 04:15) 

moody

こんにちは。

 遅ればせながら、参考図書「死刑のすべて」を読みました。途中に小説仕立ての部分があってわかりやすかったですね。冤罪の可能性、後悔し続ける死刑囚、また逆に後悔など微塵も感じない死刑囚。看守の苦悩。一つの意見に偏らないようにバランスを取ろうとしている本だと思いました。

 こういうのを読むのは初めてだったので、自分の無知さ加減が身に沁みました。もっといろいろと知識情報を入れて、それが脳内で発酵しないと意見なんかいえないなあというのが正直な感想です。インプットが足りないならアウトプットなんかできっこない。ひとえに「賛成」「反対」といえなくなってしまいました。

 考える機会を下さったことをありがたく思います。
by moody (2008-07-09 14:20) 

rio

>moodyさん、ほんと、ひとえに言えない問題ですよね。

死刑廃止を言っている人でも、「即廃止」から「当面凍結」まで幅があります。死刑存置派の中にも、「永久に存続」から「将来的には廃止すべきだが、現段階では時期尚早」という考え方まで。

戦後60年間もあったんだからとっくに国民的議論が深まっていてもいいはずなのに、「国策」としてそれを避けてきたんですね。

でも、裁判員制度が迫ってきているいま、もうこれ以上先延ばしにはできないと思います。

鳩山法相は、死刑廃止の信条を理由にした裁判員への就任拒否を「認める方向」と答えています。裁判員が死刑に反対することによる「事実上の死刑凍結」を避けたい思いがあるのでしょう。

しかし、この方針は法務省の思惑を超えて、死刑制度そのものについての本格的議論が始まる可能性を秘めています。

この点に関して日本のマスコミはまったく頼りになりませんから、裁判員になる可能性がある一人ひとりが、人生経験と照らし合わせて考えていくべき問題だと思います。


by rio (2008-07-09 16:30) 

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