SSブログ

世界バレー 強豪相手に「あと少し」が続くのはなぜ? [バレーボール]

 キューバやイタリアといった強豪相手に、なぜあと1点が取れなかったのか。「あと少し」という状態が1984年のロサンゼルスオリンピック以降、20年も続いているのはなぜか。考えながらブログめぐりをしていると、スポーツナビのブログを見つけた。とても的確な指摘をされている(記事はこちら)

 わたしもこのブロガーの方と同意見。決定力不足、サーブ力不足、セッターの身長、いろいろ言われている批判に共通するのは、全日本の戦略が「あまりにも守備に偏っている」という点だろう。

 たとえば、決定力不足。イェリッチを擁してクロアチア旋風を巻き起こした監督(名前忘れた)がたしか、「日本は背の高い選手をみんなセンターにしてしまう。これではあまりに守備的。破壊力のあるレフトとして育てるべきだ」というようなことを言っていた(気がする)。はげしく共感。たとえば全日本の荒木や、前代表の大友のような選手は、センターよりもレフトのほうが活きるはずなのだ。

 柳本監督はアテネに向けて「3Dバレー」を掲げた。センター大友を時にはライトでも使い、メグやカナとともに積極的にバックアタックを打たせた。平行とブロードという横の変化が伝統の全日本に、男子並みの速さのパイプ攻撃も取り入れようと試みた。全日本に久々に登場したこの攻撃的な戦略は着実に成果を積み重ねていたと思う(ちなみに、以前に登場した攻撃的戦略はたしか、米田元監督の”大型化”。ただでかくしただけという批判を浴び、結果的にさらなる小型化を招いた。葛和元監督の「全員セッター」と「全員バックアタック」はかけ声先行で実態はなかった)。

 ところが、アテネが5位で終わると(←これは立派な成績だと思うが)、次のテーマに「変化とスピード」を打ち出した。これが迷路の入り口だった。「変化とスピード」の意味するところはつまり、「拾ってつないでコンビバレー」なのであって、目新しさはまったくない。アテネの直後、日本バレーボール協会は「北京も柳本監督で」と(珍しく)いち早く表明した。しかし同時に、相当なプレッシャーをかけ、口出ししまくったのではないだろうか。

 今期に入って、柳本バレーはさらに守備的になる。テーマは「-2(アンダーツー)」。今よりミスを二つ減らそうという、なんだか「さわやか杯」出場校のスローガンみたいになってしまった。オリンピック直前の完成したチームのスローガンなら分かる。だが今の時点では、これはもう、ただの萎縮だと思う。使いたい選手が次々に全日本を去り、その中で年寄りたちからメダルメダルとねだられる監督のつらさは想像に難くない。ただ、前任者たちはみんな、そうやって萎縮して迷路に入り込み、クビ切られてきたのだ。やばいぞ柳本監督!

 次にサーブ力。強力なジャンプサーブを打つのに身長は関係ない(元全日本の大貫や成田がその好例)。一番簡単に練習できてすぐに得点につながるプレーでもある。全日本もずーっと前から「全員が打てることを目標にしている」と言っているが、かけ声倒れに終わっている。他国がまだやっていなくて、日本が比較的ラクに取り組める戦術は、この”全員が強力なジャンプサーブを打つ”しかないだろう。

 しかし、ここでも守備的戦略の伝統が影を落とす。決定力があれば、サーブでミスをしても取り戻せるのがラリーポイントの特徴のひとつ(日本-キューバ戦が典型的)だが、上記のとおり、日本はまた逆コースを歩んでいる。そのため、日本はサーブを、「得点をとるプレーではなく、相手の攻撃を緩めるプレー(相手を崩すプレー)」だと位置づけざるを得ない。サーブで点を取りにいって失敗した場合、取り戻せるだけの決定力がないからだ。また、ジャンプで多少崩した程度では、2段を打ち切ってくる強豪国相手には通用しないため、安全なフローターを使ってしまう。

 一方で、80年代半ばまでの全日本のように「七色のサーブ」を打てる選手もいない。特にいま、落差の大きい落ちるサーブや、胸元にのびてくるサーブなど縦に変化するサーブを打てる選手はいないんじゃないか。なぜ技術が受け継がれていないんだろう。

 守備的戦略の最大の問題点がセッターだ。竹下は確かに優秀なセッターだと思うけれど、その低さはやはり、国際試合ではありえない。竹下を呼んだのは葛和元監督だが、もし竹下がVリーグで葛和監督のチーム(NEC)じゃなかったら全日本の正セッターになることはなかったと思う。女子は伝統的に単一の実業団中心に全日本を組み立ててきた。実力主義への端緒をつけたのは葛和監督だったと思うが、彼も最後は、NECだらけの全日本にしてしまった。その過程で竹下が呼ばれたのだ。

 セッターは一度決まると代えるのはなかなか難しい。正セッターの交代はゼロからの再出発を意味するからだ。中西のあと、永富、大貫といった170センチ台のセッターを選んだときは、ついに大型化が軌道にのったかと思われた。それだけに、その流れを(自分で作って、自分で)断ち切った葛和元監督の選手起用がいまだに足かせになっている。彼もまた、結果を急かされる重圧のなかで萎縮していったんじゃないかと想像する。

 北京まであと2年。代表チームのセッターを一人前にするには最低5年かかると言われる。北京で木村を使うつもりなら、いまからどんどん経験を積ませないと間に合わない。いまの柳本監督にその英断ができるかどうか。いや、協会が柳本監督にその判断を委ねるかどうか。問題の根本はそこに尽きる。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。