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偉大な岩「ウルル」に触れた日 その4 [あいうえおーすとらりあ]

          

 カタジュタはウルルから約50キロ離れた場所にある。この二つ以外にさえぎるものはないので、どちらの麓からもお互いの姿が見える。カタジュタは複数の岩でできた岩山で高さは約500メートル。岩の間や周囲は散策道になっており、そのひとつが「風の谷」と呼ばれている。宮崎駿アニメ「風の谷のナウシカ」のモデル地とも言われ、日本人には特に人気が高いのだという。

 ツアーではこの風の谷を歩く。2キロのなんでもない道だが、暑さと両側の岩山の迫力に圧倒された。ガイドの説明では、カタジュタはオーストラリア大陸が南から押され、盛り上がった部分の一部なのだという。そのために地層は水平に近い状態になっている。一方、ウルルは東西から押されて盛り上がったため、地層が垂直になっているそうだ。たしかに、水平の地層がはっきりと見える。大きな岩の間に砂が詰まっているようにも見え、巨大な石垣といった風情だった。

 ガイドの青年は高校と大学で日本語を少し学んだほどの親日家だが、「風の谷のナウシカ」は知らなかった。「日本人観光客からよく聞くんだけど見たことないんだよね…」と申し訳なさそうに笑っていた。

 そこから話がはずみ、お互いのことを尋ねあった。彼はメルボルン出身で、大学卒業後にウルルに近いアリススプリングスに移り住み、ガイドの仕事を始めた。近いといっても車で5時間の道のりである。自宅を朝8時に出発して、昼にユラーラに着き、ガイドツアーを始める。どのツアーにもウルルの日の出を見るプランが含まれているので、寝られる時間はほとんどない。ガイドが終わればその足でまた5時間かけて自宅へ戻るのである。相当きつい仕事だろうと尋ねると、「ここがぼくのオフィスだからね」と笑っていた。 

 カタジュタの後は近くの展望台へ移動した。ここは正面にカタジュタ、右手のはるか遠方にウルルが見える絶景ポイントなのだ。その二つ以外は、低木と草と赤茶色の地面が地平線まで続いている。写真や映像では伝えられないほどの広大さの中で、見ず知らずの観光客と英語で会話している自分に気づき、ふと我に帰って不思議な気持ちになる。 

 展望台を後にして、いよいよクライマックスのウルルの日没である。ウルルの周辺には、日の出と日没の絶好ポイントがそれぞれ設けられている。日没を見ながら食事するツアーなどもあってにぎわっていた。ここでガイドが持ってきたシャンパンを開けて乾杯し、日没を待ったが、残念ながら曇ってしまったため、赤く輝くウルルは見られないまま日が暮れていった。

 翌日の日の出に期待することにしてウルルを離れ宿泊地の常設テントへ向かった。


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偉大な岩「ウルル」に触れた日 その3 [あいうえおーすとらりあ]

           

 カルチャーセンターではアナングの文化と芸術を紹介している。案内文は日本語を含む数ヵ国語で書かれ、最も悲惨な歴史的事実については触れられていないものの、オーストラリア政府からウルルを奪還した経緯などビジターセンターにはない記述がしっかり盛り込まれている。

 ウルルは1985年、アナングの法廷闘争が実り、政府から返還された。同時に、政府はアナングと99年間の賃貸契約を結んだ。返還後、いくつかの聖地は観光客の立ち入りが禁止されたが、観光の目玉であるウルル登頂は続けられた。アナングは登山に反対しているが、禁止はしていない。その結果、アナングの反対表明とウルル登頂を売りにするガイドツアーが同居し、アナングもそれを認めざるを得ない矛盾した状況を生み出した。

  アナングによると、ウルルの登山道として使われている道はアナングの祖先がこの地にたどり着いたときに通った道である。そのため、非常に神聖な道と考えられ、特別な儀式の時以外にはアナングがウルルに登ることはない。登山道には鎖がついているが危険度は高く、過去何人もの観光客が転落などで死亡しているのだという。

 土地使用料とともに国立公園入場料の一部を受け取っているアナングとしては、入場者数の減少は避けたいところだ。生活様式は西洋化し、アボリジニの伝統的な暮らしに戻ることはもはやできない。一方、100年以上にわたる白人の支配と抑圧の結果、生活水準は低く、学習や就労環境も悪い。ある種の統計では、オージーの平均寿命が70歳余りなのに対し、アボリジニは50歳代半ばだという結果が出ている。こうした現状に追い込まれている彼らにとって、聖地へ足を踏み入れられる屈辱に99年間耐えることが、生き延びるための数少ない手段だった。”蹂躙の歴史”はまだ終わっていない。

 カルチャーセンターには、もうひとつ、重要な展示品がひっそりと置かれていた。全世界から寄せられた謝罪文である。手紙の送り主は、ウルルから石を持ち帰った観光客である。出来心で持ち帰ったものの、見せた友人に非難されたり、メディアでアボリジニの訴えを知ったりしたことで良心の呵責にかられたということのようだ。こうした”善良”な人たちが、石を持ち帰った人たちの何割に当たるのかは知る由もない。ただひとついえることは、こうした展示がなされるほどに、異文化に対して理解も想像力も働かない観光客が多いという事実である。

 そんなことを考えながら見てまわるうちに、あっという間に予定の1時間が過ぎてしまった。夕日に輝くウルルまでにはまだ時間があるので、その前にカタジュタへいくことになっていた。宮崎駿アニメ「風の谷のナウシカ」のモデル地になったといわれる場所だ。空はやや曇りがちになち風も出てきたが、バスの中は相変わらずの灼熱だった。


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偉大な岩「ウルル」に触れた日 その2 [あいうえおーすとらりあ]

 走り出したバスはひたすら暑かった。うだるような高湿度の暑さとは違い、乾いた暑さはひりひりと痛い。目一杯に窓を開けた途端、ドライヤーのような熱風に襲われた。慌てて数センチのすき間を残して窓を閉めたが、肌は一気に乾き、特に唇は裂けそうなほど痛んだ。これまでリップクリームを使ったことはないのだが、その必要性を思い知らされた。 

 ガイドは暑さなどまったく気にならない様子で、平らでまっすぐな道をウルルヘ向かってぶっ飛ばしながら、ウルルの成り立ちや歴史について話し始めた。

 ウルルは世界最大級の一枚岩である。地上に出ている部分は335メートルだが、それは氷山の一角に過ぎず、地下部分も含めると6千メートルを超えると言われている。ウルルはアナングの聖地だが、彼らは一時期、入植した白人によって土地を追われた。

 過酷な自然条件で生きてきたアナングは、土地と共生するさまざまな技術を持っている。たとえば、彼らは冬に野焼きをする。小規模の野焼きは土地を肥やし、植生の循環をうながす効果があるためだ。この辺りでは夏にしばしば山火事が起こる。もし植物が生長しすぎると、山火事の規模はアナングの手に負えなくなる。そこを住みかとしていた多くの動物も滅んでしまう。野焼きはそうした危険を予防する役目も果たしている。

 また、彼らは必要以外の動物は絶対に獲らない。動物は水のありかを教えてくれる重要な存在でもある。ある種の動物が絶滅するということは、繊細なバランスの上で共生しているアナング自身の絶滅も意味するのだ。
 
 白人は長い伝統に基づいた経験則を西洋流の環境保護意識で否定した。アナングが土地を追われていた数十年の間に、植物は生長し続け、やがてアナングが最も恐れていた大規模な山火事が起こった。白人は伝統を見直し、いまではアナングの技術に基づいた環境管理を、彼らと協力して行っている。

 ガイドの説明はおおむねこのようなものだった。明確な発音でゆっくりと話す彼の姿勢からは、ツアーをただの観光に終わらせまいとする気迫が感じられた。説明がちょうど終わるころ、バスはウルルの麓にあるカルチャーセンターに到着した。バスを降りると、目の前に柔らかい形のウルルがそびえていた。


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あいうえおーすとらりあ<番外編> 偉大な岩「ウルル」に触れた日 その1 [あいうえおーすとらりあ]

 アボリジニの聖地「ウルル」の観光のためだけにつくられたちっぽけな街ユラーラは、まだ昼前だというのに酷い暑さだった。英語ガイドツアーのバスが来るまでに展望台まで歩いてみようと待ち合わせ場所のホテルを出たが、すぐにその無謀さを思い知った。

 屋外に数分立っているだけで、身につけているものすべてが灼けてひどい熱を帯びている。乾いた空気が体中から水分を奪っていく。何匹もの蝿が目の水分や鼻の頭の汗を狙って突進してくる。聖なる土地はオーストラリアで最も過酷な土地のひとつでもあった。

 沸き立つ脳みそに危機感を覚え、慌てて近くのビジターセンターに駆け込んだ。エアコンの冷気が体にしみこんでいく。用意したペットボトルの水を一気に飲み干して一息つき、ツアーバスが来るまでの間、展示を見て待つことにした。

 ウルルはアボリジニの一族「アナング」の土地である。彼らは乾燥した平地にそびえる一枚の巨岩を数千年にわたって崇めてきた。その歴史は1873年、岩の麓に彼らが”白いヒト”と呼んだ英国人が現れてから激変する。

 英国人は岩に自分たちのリーダーの名前をつけ「エアーズ・ロック(Ayers Rock)」と呼んだ。平原のフンから先住民が近くにいることを突き止め、彼らを支配下に置いた。当時の英国人は、カンガルーと同様にアボリジニを貴族の遊びのひとつ「狩猟」の対象にしていた。無数のアボリジニが意味もなく撃たれて死んだ。病気や酒などアボリジニに免疫のないものを持ち込んだのも彼らだった。30年後にはもう、ウルルに最初の観光客がやってきた。古代からの生活を守り続けていたアボリジニには対抗する術がなかった。彼らは聖地を奪われ、土地を追われた。1950年代には観光地として整備され、70年代には最初のウルル観光・登頂ブームが起きた。長い法廷闘争の末、アボリジニの手に聖地が戻ったのは1985年。わずか20年前のことである。

 ユラーラのビジターセンターでは、ウルルの悲しい歴史についての記述がすべて省かれている。英国人の登場以降、ウルルが観光地として発展してきた経緯を展示しているだけだ。英国政府およびオーストラリア政府は、まだ一度もアボリジニに謝罪していないことも影響しているのだろうか。痛みは踏まれたものでなければわからない、そんな言葉が浮かぶ。

 ホテルに戻ってほどなく、ツアーのバスが到着した。英語ガイドツアーにもかかわらず、12人の参加者は偶然にもすべて日本人だった。ガイドは金髪碧眼、背が高いオージーの青年で、開口一番、「ごめんなさい。車のエアコンが壊れているんです」という。それだけでもう熱射病になりそうなほどの衝撃的告白に、参加者はただ互いに顔を見合わせて笑うしかなかった。温度計は42度を指していた。


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あいうえおーすとらりあ 【し…シティ2サーフ】 [あいうえおーすとらりあ]

【し…シティ2サーフ】

 

 8月半ば、真冬のシドニーで開かれる市民マラソン「City 2 Surf」に参加してきました。マラソンといっても、市街中心部にあるハイドパークから東部のボンダイビーチまでの14キロ。繁華街から閑静な住宅街を抜け、海沿いを走ってゴールするコース設計です。給水所、簡易トイレ、救急所なども設けられ、大勢のボランティアで運営されています。沿道の住民も協力的で、ランナーのために音楽をかけてくれたり、生演奏をしていたり、水をまいてくれたり。街が一体となって盛り上げているという感じでした。小さくて見えづらいですが、写真の手前から奥まで通りを参加者が埋め尽くしています。

 

           

 

           

 

 制限時間がないので、思い思いのスタイルで挑戦できます。記録を狙うのはもちろん、最初から最後まで歩いてもOK。大会当日は快晴で涼しく完璧なマラソン(ウオーキング?)日和。杖をついたおばあちゃん、車椅子の男性、妊婦さん、乳母車を押した夫婦などなどいろいろな人とすれ違いました。カラダ自慢の若い男女たちは露出しまくりで(さすがに女性のトップレスはいなかったけど)、それもいまや名物になっているのかもしれません。もうひとつの名物は仮装。ゴリラの被り物、スーパーマン、バットマン、ランプの精などが沿道の観客に手を振りながら駆け抜けていました。

 

 大会は第1回の1971年以来、毎年参加者が増え続けているそうで、今年は6万3千人を超え史上最多でした。主催者は地元新聞社なので、ゴールした全参加者の名前、記録、順位が翌日の紙面に載ります。また記念メダルももらえます。ただ、ここでアクシデント発生。友達と一緒に代理店を通じて参加を申し込んだのですが、予想以上の人気ぶりに参加登録が早々と締め切られてしまったのです。代理店のスタッフが確保していた枠をもらって参加することはできたのですが、紙面は当然スタッフの名前。残念でしたがメダルはもらえたのでよしとしました。

 

 大会の開始は午前9時半。ゼッケン番号の若い順番から、約1万人ずつスタートしていきます。1万番台未満の人たちは記録と優勝を狙っている人たちで、本格的なランニングスタイルで念入りにウォーミングアップをしていました。そんな本気組の中にただひとりスパイダーマンが混じっていました。彼は本気派と互角に勝負し、順位は2桁のかなり前のほうだったと思います。もちろん仮装派の中では1位でした。ちなみに、わたしと友達の記録は約4時間。友達が何を思ったのか、異様に重たいリュックを背負ってきたため、走ったのは最初の1キロ程度であとは歩きっぱなしでした。途中、絶景ポイントで写真を撮ったり給水所で並んだりしながら、ちょうどお昼時にゴールできました。翌日、わたしよりかなり若い友達は筋肉痛に苦しんだそうですが、わたしは無傷。地力の差です、はい。

 

 次回は【す…寿司】。もはや寿司や刺身を食べられない人が少数派だそうです。


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あいうえおーすとらりあ 【さ…サッカオ】 [あいうえおーすとらりあ]

【さ…サッカオ】

 地元のシドニーっ子が行列をつくる大人気のカフェマックスブレナ・チョコレートバーで、一番の人気がホットチョコレートの「サッカオ」です。もとはイタリア語らしく、金属製のヘラとストローが合体した「サック」で「カカオ」をかき混ぜることからついた名前だそうです。

 

        

 

 チョコレートカフェというと女性ばかりの印象だったのですが、客は男女半々。仕事の休憩時間など、時間帯に寄っては男性のほうが多いこともあります。

 

 キャンドルで温めたミルクに粒チョコを好みの数だけ入れてとかし、サックで飲みます。オージーは色が完全にチョコレート色になるほど濃厚なものを作って飲んでいますが、同じようにするとかなりの甘さでした。なので、わたしは粒チョコを控えめにし、余ったチョコはそのまま食べています…って、結局は同じですね。センテニアル公園という巨大な公園が近くにあり、そこで遊んで帰りにカフェへ寄るというのがおすすめコースです。

 

 このカフェはシドニーでは珍しく夜10時過ぎまでやっていて、夕方以降は若者たちでいっぱいです。サマータイムに切り替わってもうすぐ1ヶ月がたつシドニーですが、夜はまだ肌寒い日が続いています。そんなときに、チョコレートの甘さと温かさはぴったり。ほかにも、ワッフルや各種ケーキなどスイーツも豊富で、冷たい飲み物も充実しています。ダークチョコレートを使ったドリンクは甘いものが苦手なひとにも好評です。

 

 本店はパディントンというお洒落な街のメインストリートにあり、目の前がバス停です。周りにはブティックやカフェがたくさんあり、週末には近くでマーケットも開かれます。ほかにも、サーファーに人気のマンリービーチのフェリー乗り場など、いくつか支店があるそうです。

 

 マックス・ブレナー以外にも人気のチョコカフェがいくつかあります。その中で特に気に入っているのがリンツ。日本でも有名なスイスのチョコ会社です。マーティンプレイス駅(今日のニュースの「メルボルンカップ」に載せた写真)のすぐ近くにリンツが経営するカフェがあります。カフェでは、板チョコや粒チョコなど数十種類のチョコが並べられています。

 

 常連っぽいあるご婦人は「きょうはベリー(berry)系を5粒みつくろってくださるかしら」なんて頼み方をしていました。ただ、ビジネス街にあるためか、日中は、奥様方よりもネクタイ姿の男性のほうが圧倒的に目立ちます。商談をしている脇にチョコレート、というのは日本人にはなじみが薄いと思うのですが、こちらではごく自然なんですね。ちなみに、リンツの板チョコは普通にスーパーで売られていて、定期的に安売りもされています。冬の間はしょっちゅう食べていました。値段は安売り時でも1枚300円ぐらいしますが…やめられません。

 

 次回は【し…シティ2サーフ】。6万人以上が参加するジョギング大会。わたしも参加しました。


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あいうえおーすとらりあ 【ご…ごはん】 [あいうえおーすとらりあ]

【ご…ごはん】

 朝晩は基本的に自炊です。オーストラリアでは、和食文化はブームを通り越して完全に定着しています。オージー系のスーパーでもたいていのものはそろいます。最寄りのスーパーにはアジア食材コーナーがあり、醤油味噌みりんだしの素といった調味料のほか、出前一丁チキンラーメンなどの即席ラーメン、カレールー(ゴールデンカレーこくまろ)、キューピーのマヨネーズおたふくソース桃屋のキムチの素乾燥わかめそうめん納豆などまであります。

 

 どれも日本からの輸入品なので割高なのですが、マヨネーズは日本人以外も認めるおいしさで、他国の友達もよく買っています(オージーのマヨネーズは信じがたいほどまずい。酢と塩が少なく、卵と油と砂糖を混ぜて乳化させただけのような味)。カレールーも人気の品。オージーによると、インドやタイのカレーと比べて万人受けする味なのだとか。また、みりんは、オージーの大好物「照り焼きチキン」を作るために欠かせないとの認識が広まってきているそうです。スーパーにはほかにも、タイ、ベトナム、韓国、中国などの食材も一緒に置かれており、日本のスーパーよりも楽しめます。うどん豆腐(ちゃんと木綿と絹ごしに分かれている)といった食材は一般コーナーに置かれ、オージーの家庭料理に普通に取り入れられています。

 

 オージー系のスーパーでは手に入らないものは、最寄りの中国系や韓国系の個人商店に行きます。たとえば薄切り肉。オージーはブロック肉しか使わないので、個人経営の肉屋さんでも薄切り肉はありません(頼んでも薄切りにする設備が無いのでつくってもらえない)。マヨネーズとおたふくソースときたら、これはもうお好み焼きをつくるしかない。アジア系商店はそんなときに助かる存在です。また、肉じゃがをオージービーフの塊でつくったときは、油とアクがすごくて大変でした。それならばと、安くて油の少ないカンガルーの赤身(普通にスーパーで手に入る)でつくったところ、臭くて臭くてげっそりしました。そんな時にも薄切り肉を売っているアジア系商店はとても重宝します。それでもまだまだ物足りないという場合は、チャイナタウンに行きます。ここで手に入らないものはないというほど何でも売っています。あんこごぼうしいたけだし昆布切り干し大根富有柿茶碗や弁当箱(←オージー系スーパーには売っていない)、などなど。

 

 数は少ないながら日本食を専門的に扱っているスーパーもありますし、日本食レストランや居酒屋、ラーメン屋もあちこちにあるので、食生活に困ることはありません。たいていのオージーは日本食が好きで、普通にはしを使いこなせますから、余計な気をつかわずに食事に誘えます。インターネットで日本のニュースを見ながら、ごはんとみそ汁、納豆、焼き鮭なんかを食べるシドニー生活ってどうなの?と思わないでもありませんが…。

 

 次回は【さ…サッカオ】。オージーに大人気のチョコレートカフェの一押しメニューです。 


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おーすとらりあ 【げ…ゲイ】 [あいうえおーすとらりあ]

【げ…ゲイ】

 シドニーはいまや、サンフランシスコに次ぐ世界第2位のゲイ人口を抱える街と言われています(この場合のゲイは男女両方を意味します)。3月に開かれる「マルディグラス」では、世界中から100万人以上の観光客が押し寄せるそうです。もともとは謝肉祭の最終日のことを指す宗教用語でゲイとは何の関係もないのですが、数十年前にゲイの人たちがオックフォード通り(←シドニーの2大ゲイタウン。ただし観光客や男女のカップルも多く、言われなければゲイタウンとは気づかない。”虹の旗”が目印)でパレードをしたことから始まったそうです。当時の参加者は逮捕されてしまったのですが、時代は変わり、いまでは警察もパレードの一員です。ほかにも政治家や実業家など単に人気を取りたいだけ(?)の人たちも登場するとか。

 

 シドニーでは、休みの日ともなると街のあちこちで普通にゲイカップルがデートを楽しんでいます。こちらに来たばかりのときは、同性の2人1組の組み合わせがやたらと多いなと感じたものの、仲のいい友達同士なのだと思っていました。生活に慣れるにつれて、友達同士とカップルの違いもだんだん分かるようになってきました。一番びっくりした体験は図書館でのこと。本を借りようとカウンターに並んでいると、三つ前の30代ぐらいの女性が図書館職員(?)の50代ぐらいのおばさんといきなりぶっちゅーっ!とキスしたのです。いやーすごい光景でしたが、周りの皆様は特にリアクションもなく、何事もなかったかのように図書館業務が再開されたのでした。

 

 今のところ、ゲイのキスシーンに出くわしたのはこれだけですが、手をつないだり、いちゃついたりしている人はしょっちゅう見かけます。人気テレビ番組「ビッグブラザー」(男女数人が3ヶ月にわたって共同生活を送り、その模様をテレビで流す“のぞき番組”。視聴者の人気投票で毎週ふるいにかけられていく)でベスト4まで残った男性は、生放送の中でゲイであることを告白しました。パートナーが登場して番組の中でしっかりと抱き合い、視聴者を感動の渦へ…巻き込んだのかな?

 

 友達数人とバーに行ったときは、韓国人の友達が酔ったオージーの男の子に口説かれる“事件”も起きました。友達はオージーの言っていることが理解できず、何度か聞き返したところ、突然、コアラのようにしがみついてきて“抱っこ状態”になったのでした。回りが慌ててひっぺがしたのですが、その後も自分のTシャツをまくりあげて踊りだす始末。ゲイに対する社会的な抑圧が強い(つまり差別意識が強い)韓国人にとってはかなりショックな出来事だったらしく、「あの店には二度と行かない!」といまでも怒ってます。

 

 変な話ばかり書きすぎました…反省。通った学校の講師にもゲイが数人いました。彼らの話からでも、ゲイも男女のカップルとまったく同じように、ごく普通の恋愛・共同生活を楽しんでいることがわかります。シドニーにも差別や偏見は根強くあるそうですが、ほかの街よりかはかなりマシだとのことでした。

 

 次回は【ご…ごはん】。日本と同じものがほとんどなんでも手に入ります。  


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あいうえおーすとらりあ 【ぐ…ぐだまいと】 [あいうえおーすとらりあ]

【ぐ…ぐだまいと】

 留学先にオーストラリアを選んだ人は、一度は「オーストラリア英語はなまってる」という忠告(?)を受けたことがあると思います。結論から言えば、イギリス式やアメリカ式とは違う発音も多くあるものの、まったく問題ありません。訛りをそのまま同じように発音できる人は英語力が相当高い人です。たとえば関東から関西に引っ越した場合、違和感のない関西弁を話すには普通は1年以上かかるのではないでしょうか。日本語同士でもそうだとすれば、外国語ではなおさらです。それ以前にまず「日本訛り」が抜けません…。

 

 イギリス国内でも、たとえばロンドン周辺と北部のスコットランドでは発音が違います。ある留学エージェントで「ニュージーランドはイギリス英語なのでオーストラリアよりいい」と言われたことがありました。実際は、ニュージーはイギリス英語といってもスコットランド式の発音です。ロンドン出身者に言わせると、スコティッシュの発音は非常に分かりづらいとのこと。そのことをからかって「sixsexと発音する」なんて陰口を叩く人もいます。ステイ先のホストファザーとマザーの両親はどちらもスコティッシュだったのですが、シドニー育ちの二人には、スコティッシュの発音が理解できないこともあるとか。

 

 それはさておき、オージー英語で有名なのは[ei]の発音ですね。どうしても[ai]になってしまうようで、アナウンサーでもeightの発音が微妙に[ait]になっている人がいます。タイトルの「ぐだまいと」は、オージーのあいさつ「Good a mate!」です。これもeiaiのパターンです。今までで一番難しかったのはdataの発音。ロンドンっ子は日本語とほぼ同じ「デイタ」と発音するのですが、オージーは「ダータ」。なんじゃそりゃ?ですが、文脈から理解できるので大丈夫です。発音以外にも、「You right(=Are you all right?の意味)」や「No worry(=Don’t worry)」なんかはよく使うオージー英語です。また、会話の中では“t”の音が完全に消える(whatがワッ、must beがマスビィなど)、省略しすぎてThanksがターになる、複数形でもthere isを使う、など“言葉の乱れ”として問題視されているオージー英語も少なくありません。

 

 余談ですが、アメリカ式英語は、単語やその語法、綴り、文法がイギリス式英語と違うので、誤解をうむこともあります。有名なのは階数の数え方です。イギリス英語では1階はground floor、2階が1st floorですが、アメリカ英語では1階が1st floorです。また、can'tはイギリスでは「カ(ー)ント」ですが、アメリカは「キャ(ー)ント」。イギリス式は冒頭の発音で否定か肯定かを判断するので、アメリカ式で発音すると肯定文だと誤解されやすいのです。

 

 アメリカ英語は、イギリス式文化圏では冷ややかに見られることもあります(「アメリカ英語を使うな!」とはっきり否定する人もいます)。ちなみに、アメリカ人に人気の都市第1位はシドニーだそうです。この温度差が興味深いですね。また、TOEICではリスニングテストのスピーカーとして各英語圏の出身者を採用し(これまではアメリカ人だけだった)多様化を図る方針だそうです。

 

 次回は【げ…ゲイ】。シドニーは世界第2位のゲイタウンだそうです。


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あいうえおーすとらりあ 【ぎ…疑問】 [あいうえおーすとらりあ]

【ぎ…疑問】

 バス停の近くや駅構内を歩いていて、知らない人から突然「お金を少し下さい」と頼まれたことがこれまでに3回もありました。また、言われている人を何回も見かけました。日本の感覚で言えば、いわゆる“たかり”です。言ってくる人は年齢、性別ともさまざま。とくに貧しい身なりをしているわけでもありません。

 

 1度目は友達とバーで飲んだ帰り道、深夜、雨が降ってきた中をうろうろしている若い白人の男がいるなあ、と思った瞬間に声をかけられていました。いわく「友達と飲んでいてお金をかなり使ってしまった。バスが終わってしまったのでタクシーで帰るしかないけど持ち合わせがない。歩けば2時間以上かかるし雨も降ってきたから無理。いくらかもらえないか」とのこと。冗談じゃないと即座に断りました。言っていることが事実だとしても、24時間のATMがあちこちにあり、タクシーはクレジットカードもOKなのです。

 

 2度目は夜8時ごろ、帰宅中に家の近くのバス停でかなり老け込んだ白人の白髪女に声をかけられました。その女はバス停のベンチに座ってバスを待っている風情だったのですが、突然立ち上がって近寄ってきて「いまから帰ると家族に電話しなければいけないがコインがない。5ドル(約500円)もらえないか」と言うのです。確かにそのバス停の脇には公衆電話があります。しかし、そこから30秒の距離に24時間スーパーがあるのです。本当にコインがないならそこで崩してもらえばすむことでしょう。また、5ドルはコインではなくお札ですし、公衆電話代は市内であれば60セントで何分かけてもOKなのです。

 

 3度目はオープンカフェで朝ごはんを食べているときに、これまた白人の若くて背の高い男が、「わたしは話すことができないから仕事がもらえない。5ドルくれ」と書いた紙を持ってカフェの客を順番にまわってきたのです。福祉が充実していてしかも景気のよいオーストラリアで、人種的に有利な白人で、朝からたかりに精を出す“働き者”が仕事にありつけないわけがないのです。もちろんこれも即座に断ったのですが、わたしの前に声をかけられていた白人のおばさんはいくらかのコインを渡したのでびっくりしました。あとで渋い顔の店の人になにか言われていたので、コインを渡したことを注意されていたのかもしれません。

 

 これまでにも、市中心部の駅構内で、たかられている人が財布を取り出してコインを渡している姿を何度か見かけたことがあります。財布をかっぱらわれたらどうするんだろうと心配になってしまうほどです。体験の上では、声をかけてくる人もお金を渡しているひともすべて白人でした。そういう文化なのか、あるいはそれだけ安全で平和な社会なのか。断れば即座に退散するので嫌な思いをしたことはないのですが、「なんでお金を渡すのか」という疑問は深まるばかりです。

 

 次回は【ぐ…ぐだまいと】オージー英語にまつわる体験談をご紹介します。


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